この記事は、バルカン地域ちいき紛争後ふんそうご社会しゃかいつたえるメディア「バルカン・ディスクルス」に掲載けいさいされたものを、グローバル・ボイスが編集へんしゅうしたものである。

独特どくとく低音ていおん魅力みりょく歌手かしゅイェレナ・ミルシッチが、やさしく旋律せんりつ歌い上げるうたいあげる。そこに、世界せかいでもトップクラスのアコーディオン奏者そうしゃメリマ・クリュチョが伴奏ばんそうくわえる。二人にとって音楽おんがく天職てんしょくであり、その共演きょうえん運命うんめいであったという。

二人のアルバム『ルーメ』は、世界せかい各地かくち音楽おんがくのカバー10きょくとオリジナル5きょく構成こうせいされている。オリジナルきょくも、ルーマニアやクロアチア、コソボ、そしてセファルディなどの伝統でんとう音楽おんがくから着想ちゃくそうたものがえらばれた。直感ちょっかんえらんだきょくもあれば、慎重しんちょう議論を重ねてぎろんをかさねてめたきょくもあった。

ミルシッチは、この選曲せんきょく作業さぎょうを「とても集中しゅうちゅうした素晴すばらしい時間じかんだった」と振り返るふりかえる。それぞれがきょく提案ていあんしたが、アレンジやアルバム全体ぜんたい構成こうせいにおいて、二人の共演きょうえん相応しいふさわしいかどうかが絶対ぜったい条件じょうけんだった。プロデュースはクリュチョが担当たんとうしたが、彼女かのじょは『ルーメ』が見事みごと共同作業きょうどうさぎょう成果せいかであるとかたる。

クリュチョは「『ルーメ』というタイトルはあい意味いみします。このアルバムのテーマは、すべてあいなのです」とかたる。

ミルシッチにとっても、このアルバム制作せいさく音楽おんがく理解りかい解釈かいしゃくめんおおくをまな貴重きちょう経験けいけんとなった。

実際じっさいに「ルーメ」という言葉ことばには、世界せかい生命せいめいひかりまぼろし恋人こいびと人間性にんげんせい、そしてつよきずななど、様々さまざま意味いみめられている。

ミルシッチはつぎのようにかたる。「私たちは、正確せいかくうつくしいうたかた技術ぎじゅつ重視じゅうしするあまり、うた解釈かいしゃく基本きほんである歌詞かしのメッセージをつたえることをわすれがちです。メリマはその重要性じゅうようせいおしえてくれ、わたし創作そうさくにおける重要じゅうよう部分ぶぶんづかせてくれました。アルバム制作せいさくすべてのプロセス、そしてメリマとのライブ演奏えんそうは、何物にも代えがたいなにもにもかえがたい特別とくべつ体験たいけんです」。

ミルシッチの言葉通りことばどおり、二人のアルバムは非常ひじょうたか評価ひょうかされ、おおくの人々ひとびと感動かんどうあたえた。

バルカン地方ちほうをはじめ、ヨーロッパや米国べいこくでも演奏えんそう機会きかいた。場所ばしょわず、聴衆ちょうしゅう二人ふたり演奏えんそうとエネルギーを称賛しょうさんし、音楽おんがくつうじて感動かんどう分かち合ったわかちあったという。クリュチョがつくおどろきにちた楽曲がっきょくは、とく好意的に受け入れられたこういてきにうけいれられた

二人は、詩人しじんアレクサ・シャンティッチの『スノウフレークス(Pahulje)』にあらたな命を吹き込んだいのちをふきこんだ。これは、ミルシッチのソロアルバム制作せいさくをクリュチョが申し出てもうしでて、ミルシッチがこれを快諾かいだくしたことがきっかけである。

ミルシッチは「むと、自由じゆう気ままきままだった子供こども時代じだい々が思い出されおもいだされうつくしい記憶きおくとともに故郷こきょうモスタルのまちこころなかよみがえりました。そこで、こののためにきょくとビデオをつくり、ソロアルバムに収録しゅうろくすることにしたのです」とかたっている。

クリュチョは、シャンティッチの視覚的しかくてき魅力みりょくについて、「かれ言葉ことば一語一語いちごいちご映像えいぞうのように浮かびうかびこころちます。それがわたし創作意欲そうさくいよく刺激しげきし、音楽おんがくのイメージをひろげてくれるのです」とべている。

また、クリュチョはクロアチアの有名ゆうめいなジャズ演奏えんそう共演きょうえんした作品さくひんで、権威けんいあるポリンしょう受賞じゅしょうしている。彼女かのじょは、音楽おんがくからの評価ひょうかもさることながら、故郷こきょう人々ひとびと自分じぶん努力どりょく作品さくひんみとめてくれることをなによりよろこんでいる。

クリュチョの音楽おんがく源泉げんせんは、イベリア半島はんとうにルーツをつユダヤけい人々ひとびと音楽おんがく「セファルディ」である。その影響えいきょうはアルバム『ルーメ』にも色濃くいろこくかんじられる。彼女かのじょがこの音楽おんがく夢中むちゅうになったのは14さいときだったという。