怒り、恐怖、そして混乱が渦巻く有害な風潮が、世界を覆いつつある。そしてそれは、単純な解決策を掲げるポピュリスト(大衆迎合主義者)にとって、格好の土壌となっている。
私たちは今、激動の時代を生きている。リベラルな民主主義、自由市場、開かれた社会が「唯一の選択肢」だという戦後の共通認識は、相次ぐ危機によって着実に蝕まれてきた。
米同時多発テロは、冷戦後の世界が自由資本主義への信頼で一つになるという西側諸国の希望を打ち砕いた。2008年の金融危機は、グローバリゼーションが約束した経済的繁栄の脆弱性を露呈させた。2015年の欧州難民危機は、社会的な緊張を明らかにした。そして新型コロナウイルスのパンデミックは、グローバリゼーションに急ブレーキをかけ、国境を閉ざし強い国家を目指す権威主義的な思想を再び呼び覚ました。
これらに加え、気候変動によるコストの増大、格差の拡大、貿易戦争、人工知能(AI)の台頭、そして人々の生活を苦しめる物価高騰を考えれば、民主主義政府への信頼がなぜ揺らいでいるのかを理解するのは容易だろう。
このような不確実性、怒り、幻滅を背景に、「すべては移民のせいだ」という単純な物語が人々の心をつかんでいる。
経済が停滞し、公共サービスが逼迫し、地域社会に分断が生じると、移民はグローバリゼーションがもたらすあらゆる問題の象徴とされる。政治家にとっては「住宅価格が高いのは彼らのせいだ」「病院が混雑しているのは彼らのせいだ」「あなたの仕事や文化が脅かされているのは彼らのせいだ」という、分かりやすい物語を語る好機となる。
しかし、現実ははるかに複雑である。移民は一般的に経済を拡大させ、政府の歳入を増やす。その地域的な影響は、住宅供給、インフラ、労働者の保護、公共投資のあり方に大きく左右される。だが、その複雑さこそが問題なのだ。複雑に絡み合った危機に直面した人々は、単一の、すっきりとした説明に引き寄せられる。
人間はまた、特に不安な時代には、集団的なアイデンティティに引かれる傾向がある。世界を「内」と「外」に分け、自分たちの恐怖を境界線の向こう側にいる人々に投影するのだ。
一度移民が社会問題の根源と見なされると、次の段階は単純だ。「彼らを止められるのは、強い指導者だけだ」という考えに至る。議論や妥協、権力の分散を特徴とする民主主義は、弱く、問題に加担していると描かれる。対照的に、権威主義者の約束は明快だ。「私に権力を与えよ。そうすれば国境を閉じ、秩序を回復し、あなたの国を取り戻して見せる」。
ドナルド・トランプ氏はこの主張を中心に自身の政治を築いた。英国のEU離脱(ブレグジット)を後押ししたスローガンは「コントロールを取り戻せ」だった。同様の物語が、ヨーロッパ中のポピュリスト運動を活気づけている。移民は彼らにとって最も強力な象徴だが、真の標的は、開かれた社会、多様なアイデンティティ、国際貿易、そして為政者への権力制限といった、リベラルな秩序そのものである。
現在のポピュリズムの隆盛は、より長期的な政治サイクルの一部と見なすことができる。
20世紀初頭は権威主義の時代だった。第二次世界大戦での敗北が、二つの潮流からなるリベラル革命への道を開いた。一つは公民権運動やフェミニズム、環境運動などが推進した社会自由主義。もう一つは自由市場思想の復活に後押しされた経済自由主義である。これらが合わさってグローバル化を是とする考え方が生まれ、半世紀にわたり西側政治を支配し、冷戦終結後にその頂点を迎えた。
しかし、この25年間でその体制は着実に弱体化した。テロ、金融危機、戦争、強制移住、気候変動、そしてパンデミックが、「開かれた社会」の脆弱性を露呈させたのだ。パンデミックはまた、物価の大幅な上昇を日常生活に定着させた。サプライチェーンは混乱し、多くの企業が値上げに踏み切り、コストが落ち着いても価格を元に戻さなかった。住宅、食料、エネルギー、建設費が高騰する一方、賃金の上昇はそれに追いつかなかった。
ポピュリストは、脱グローバル化を解決策として提示する。すなわち、移民の削減、関税の引き上げ、国境管理の強化、そして国家の自給自足である。しかし、世界的な貿易や労働力の流れを断ち切ること自体が、物価を押し上げ、生活水準を低下させる可能性がある。この政策課題の象徴として移民が利用されるのは、人間の移動が、輸送コンテナや関税、サプライチェーンよりも人々の感情に強く訴えかけるからだ。
権威主義への郷愁として始まった動きは、今や複雑な時代における単純さと統制を約束することで、政治の主流に返り咲いている。
新しいコミュニケーション技術は、しばしば既存の政治秩序を破壊してきた。印刷機は革命的なパンフレット作者を可能にし、映画とラジオはファシズムや共産主義のプロパガンダを強力に後押しした。
現代のソーシャルメディアや動画プラットフォームは、新たな政治的起業家たちに同様の機会を与えている。これらが世界の主要なニュース源となる一方で、ニュースへの信頼は世界的に急落した。これらのプラットフォームは、単に誤った情報を拡散するだけではない。公の目の届かないところで、政治運動が「培養」されることを可能にする。孤立した個人がオンラインの世界に入り込み、そこでは噂が事実となり、反対者は敵となり、過激な意見が圧倒的な支持を得ているかのように見える。
その結果生まれるのが、一種の「政治的フラッシュモブ」だ。オンラインで急速に広がり、突如として街頭や選挙、既存の制度の中に噴出する運動である。これらは自然発生的に見えるが、多くは長年にわたるデジタル上の組織化と、蓄積された人々の不満の産物なのだ。
リベラルな民主主義は今、岐路に立たされている。一つの道は、複雑な問題を説明し、失敗を是正し、共有された繁栄を再構築できるような制度を目指す道だ。もう一つの道は、壁を築き、スケープゴートを探し、強権的な指導者に依存する道である。社会に存在する怒りは本物だ。その危険は、怒りを引き起こした張本人ではない人々が、その標的とされることにある。