インドにおける死刑をめぐる議論は、これまで国家が人の生命をうばう権力を持つべきかという、より大きな憲法上けんぽうじょうの問題に集中してきた。しかし、それに関連しつつもことなる、もう一つのいはこれまであまり注目されてこなかった。それは、もし国家がその権力を保持しつづけるのであれば、どのように行使こうしすべきか、という問題である。

このいが、ふたたび憲法をめぐる議論の中心にもどってきた。2024年1月、インド最高裁判所は、旧刑事訴訟法けいじそしょうほうおよびその後継法こうけいほうである2023年インド市民安全法(BNSS)にもとづ絞首刑こうしゅけいによる死刑執行の合憲性ごうけんせいについて、再審理さいしんりのために大法廷だいほうてい付託ふたくすることをみとめない判断をくだした。

この請願せいがんは、薬物注射、銃殺、電気椅子など、より苦痛が少ないとされる方法への移行を求めていた。

最高裁は、この問題を大法廷に送るだけの十分な根拠こんきょが示されていないとした。一方で、もし他の方法がより苦痛を少なくし、憲法第21条が保障する人間の尊厳そんげんをより良く保護することを示す説得力のある科学的・医学的証拠が将来的に提出されれば、再検討のとびらは開かれているとの見解も示した。重要な点として、最高裁は今回の判決はんけつが、連邦政府がこの問題を独自に検討するための専門家委員会を設置することをさまたげるものではない、とも明言した。

この問題が最高裁であらそわれたのは、今回が初めてではない。40年以上前の判決で、最高裁は絞首刑の合憲性を支持している。しかし、その後も異議いぎもうてがつづいているという事実は、この問題が単に死刑制度そのものに対する反対論をかえそうとするこころみとして片付かたづけられるものではないことを示唆しさしている。

新しいインド市民安全法においても、法律は引き続き絞首刑による死刑を規定している。したがって、より難しい問題は、絞首刑が現在法的に認められているかどうかではなく、まったことなる時代に考案こうあんされた方法が、尊厳、法医学ほういがく、そして人道的な刑罰けいばつに関する現代的な理解を引き続きたしているかどうか、という点にある。

この懸念けねんには制度的な歴史がある。インド法務委員会は2003年の第187次報告書でこの問題を検証し、絞首刑には身体的苦痛がともなうと結論付けたが、特定の代替案だいたいあんを支持して絞首刑を完全に廃止するよう勧告かんこくするまでには至らなかった。

さらに2015年の画期的かっきてきな第262次報告書で、法務委員会はさらに一歩み、死刑そのものに反対する立場を表明した。同報告書は、死刑が生命と尊厳に対する権利を侵害しんがいし、抑止力よくしりょくとして機能せず、事案じあんごとに恣意的しいてきに適用されていると指摘。その上で、テロ関連犯罪などをのぞく、すべての通常犯罪に対する死刑のすみやかな廃止を勧告した。

インド憲法第21条は、「法に定められた手続きによる場合をのぞいては、何人なんぴともその生命または個人の自由をうばわれない」と規定している。最高裁は過去の判例はんれいで、生命や自由をうばう手続きは、単に法的に制定されているだけでなく、公正、正当、かつ合理的でなければならないと解釈してきた。以来いらい、この条文じょうぶんは人間の尊厳を憲法上保護するための広範こうはん根拠こんきょとなっている。

したがって、ここでの適切ないは、死刑判決を受けた者が「苦痛のない死」に対する憲法上の権利を持つかどうかではない。国家が、合法的にした刑罰を執行するにあたり、不必要な苦痛、残虐ざんぎゃくさ、品位ひんいの低下を最小限におさえる継続的な義務をっているかどうか、ということなのである。

薬物注射は、しばしば最も臨床的りんしょうてき洗練せんれんされた代替案として提示される。しかし、米国での失敗例では、執行に数十分をようし、死刑囚しけいしゅうが目に見える苦痛を示したケースも報告されており、「臨床的な見た目の手続きが必ずしも苦痛のない手続きである」という前提をくつがえしている。

連邦政府も、訴訟そしょう手続きの中で、代替案が不適切に実施されれば、絞首刑と少なくとも同程度に憂慮ゆうりょすべき結果を生む可能性があるとの立場を取った。電気椅子や銃殺も、それぞれに管理上のリスクや尊厳に関する問題を抱えている。

インドに必要なのは、単に他の方法がより現代的に見えるという理由だけで絞首刑をえることではなく、厳格で証拠にもとづいた調査である。連邦政府は、法医学者ほういがくしゃ麻酔科医ますいかい、憲法学者、刑務官けいむかん、人権専門家からなる、独立した学際的がくさいてきな専門家委員会を設置することが望ましい。そして、どの方法が、もしあるとすれば、苦痛を最小限におさえ、死にいたる過程での尊厳を最もたもつかという基準にもとづき、透明性のある比較評価をおこなうべきだ。

最高裁は、最近の命令によって政府によるこのような見直しがさまたげられることはないと示唆しさしている。また、法務長官ほうむちょうかんは、この訴訟の初期の審理しんりにおいて、政府がそのような委員会の設置を検討していると裁判所さいばんしょに伝えていた。その約束は、今や単なる法廷での発言ではなく、実行されるべきだ。この問題への答えは、国民感情や政治的都合、あるいは根底こんていにある犯罪の情緒的じょうちょてきな性質によって決定されるべきではない。それは、公開された形で収集され、検証された証拠にもとづいて構築こうちくされなければならない。