この記事は SciDev.Net の報道(CC BY 2.0)をもとにした日本語訳です。

国連総会で開発問題に関する議論が行われたことを受け、エチオピアのデメケ・メコネン元副首相は、人生最初の1000日間の栄養状態を人間開発の進捗しんちょくを測るための中核的ちゅうかくてきな指標とすべきだと主張している。

乳児用ミルクの購入は国内総生産(GDP)に貢献するが、母乳育児は貢献しない。しかし、母乳育児は、健康で有能、かつ生産的な子どもを育てる上で社会ができる最も重要な投資の一つである。

この小さな矛盾は、私たちが人間開発をどのように測定しているかという、より大きな問題を指し示している。

私たちは人々が大人になってから達成する成果に注目するが、そもそもその成果を形作る条件にはほとんど注意を払っていない。要するに、私たちは人間開発を逆方向から測定しているのだ。

妊娠から子どもの2歳の誕生日までの「人生最初の1000日間」は、人間の潜在能力せんざいのうりょくを築く上で最も重要な期間である。3歳になるまでに、子どもの脳の構造の多くはすでに形成されている。

教育、技能訓練、そして雇用は非常に重要だが、それらははるか以前に築かれた土台の上に成り立つ。その土台が脆弱ぜいじゃくであれば、後の投資は、たとえどれほど巧たくみに設計され、資金が投入されても、効果が薄れ、より多くのコストがかかることが多い。

その証拠は明らかだ。グアテマラでは、3歳になる前に高タンパクの栄養補助食品を与えられた子どもは、与えられなかった子どもに比べて、成人後の賃金が46%高かった。

ジンバブエで行われた研究によると、栄養失調で発育が阻害そがいされた子どもは、そうでない子どもに比べて就学年数が短く、生涯所得が約10%低かった。

これらは決して小さな影響ではない。適切な栄養が、子どもが健康で生産的な大人に成長するか、あるいは生涯にわたる制約に直面するかを決定しうることが研究で示されている。人口全体で考えれば、幼児期の劣悪れつあくな栄養状態は、生産性の大幅な損失、医療費の増大、そして経済成長の鈍化どんかにつながる。

その影響は一世代にとどまらない。栄養不足の少女は栄養不足の母親になる可能性が高く、その子どもも同じような不利益に直面する可能性がある。幼少期に発育不全を経験した女性は、発育が制限された子どもを持つ可能性が高いことが証拠として示されており、これが世代を超えた栄養不足の連鎖れんさにつながっている。

したがって、幼児期の栄養問題は他の多くの開発課題とは異なる。その影響は年を追うごとに積み重なるだけでなく、世代を超えて連鎖れんさするからだ。一人の子どもの人生で失われた機会は、次世代の未来をも左右しかねないのである。

幼児期の栄養がこれほど重要であるなら、なぜ教育やインフラ整備と並ぶ中心的な開発優先課題として扱われないのだろうか。その答えの一端いったんは、私たちが進捗しんちょくを測る方法にある。

人間開発指数(HDI)は、人類の進歩を測る世界共通の評価基準に最も近いものだ。この指数は、所得、教育、平均寿命に関するデータをまとめたもので、国連開発計画(UNDP)が各国の開発レベルを測定するために使用している。

これらは価値ある指標だが、成人が達成した結果を示すものに過ぎない。子どもが幼少期に受けた栄養やケア、つまり後の成果を可能にしたり不可能にしたりした条件を捉とらえてはいない。これは、建物の基礎を点検せずに外観だけで評価するようなものだ。HDIが成人の成果を記録する頃には、未来の大部分はすでに数十年前に形作られているのである。

これは、政府が追い求める新たなランキングや、操作されかねない新たな指数を作ろうという呼びかけではない。進歩を定義する方法の中に幼児期の栄養を意味あるものとして位置づけることで、HDIを強化しようという提言ていげんである。開発は、成人期に見える結果だけでなく、子どもが最初から十分に発達する機会を与えられているかどうかによっても測られるべきだ。

これを実現するために、費用のかかる新しい報告システムは必要ない。関連データの多くは、多くの国の政府が実施している人口保健調査にすでに存在している。問題はデータ収集にあるのではなく、私たちが何を開発の中核的ちゅうかくてきな指標として重視するかという選択にあるのだ。

行動のための基盤もすでに存在する。栄養改善運動(SUNムーブメント)は、各国の栄養プラットフォームを通じて、政府、支援機関、国連機関、市民社会、そして企業を結びつけている。

栄養に関する強力なデータシステムを持つ少数の国々が、これらの既存の枠組みの中で試験的にアプローチを導入することができるだろう。こうした試験的導入は、本格的な展開の前に、データの利用可能性、比較可能性、そして方法論に関する実践的な問題に対処する助けとなるはずだ。

始める前から完璧な世界基準は必要ない。実践から学び、アプローチを洗練せんれんさせ、完璧さを追求するあまり行動が遅れることを避けるべきだ。

政府開発援助が縮小し、各国政府が乏とぼしい資源の配分についてより厳しい選択を迫られている今、このことは特に重要だ。栄養問題は、学校や医療制度、インフラなどと資金を競い合う一つの分野として扱われがちだが、それは優先順位を間違えている。

人生最初の1000日間の栄養は、これらの投資と競合きょうごうするものではない。むしろ、それらの投資を成功に導くものである。十分な資金が投入された学校制度も、栄養失調によってすでに認知発達が妨さまたげられた子どもたちが教室に来るのでは、その成果を十分に発揮できない。技能訓練プログラムも、若者がカリキュラムや就職の機会に出会うずっと前、乳児期に定められた限界を完全には克服できない。

これは学校や診療所、道路や雇用に反対する議論ではない。物事の順序を正しくしようという主張だ。教育、健康、そして経済的機会への投資がその価値を最大限に発揮することを望むなら、まず子どもたちが成長し、学び、能力を伸ばすために必要な栄養を確保しなければならない。

行動するために、新しい開発理論は必要ない。膨大ぼうだいな量の新しいデータも不要だ。私たちがすでに収集しているデータ、特に低・中所得国のデータをもっと注意深く見て、進歩が本当に始まる時点から測定を始める必要がある。