東京の日比谷公園では、「ランチプロテスト」というユニークな活動が行われている。これは、たっつー氏が主催するもので、毎週月曜日と金曜日に、参加者がブルーシートの上で昼食をとりながら、健康保険制度から平和問題まで、さまざまな政策について自由に語り合う場である。

2026年8月15日は、第二次世界大戦が終結してから81年目の記念日である。この日は、連合国が日本を含む枢軸国すうじくこくに対する勝利を祝った日だが、日本では複雑な国民感情を喚起かんきする。戦時中の暴力の歴史を深く省察せいさつする機会と捉える人々がいる一方で、戦争によって多くの同胞の命が失われたことへの悔恨かいこんや屈辱くつじょくを新たにする人々も少なくない。

このような状況の中、日本の高市早苗首相は、現行の平和憲法を改正し、厳格な平和主義から転換すべきだとの考えを支持している。これは、多くの保守派が長年目指してきた目標でもある。

その一方で、平和活動家たちは終戦記念日に合わせて各地で追悼イベントや集会を開催した。これらの集会を取材すると、日本の平和運動が変化しつつある様子がうかがえる。かつて主流だった年長世代による組織主導型の運動から、若者世代を中心とした、より個人的で参加しやすく、ポップカルチャーなども取り入れた新しいスタイルへと移行しつつあるのだ。

取材した集会の一つに、市民文化フォーラムが主催した「戦後81年――民主主義の瓦解がかいをとめるための対話」がある。会場は、靖国神社から約1.5キロの距離にある日本教育会館だ。靖国神社は戦没者を祀まつる施設だが、第二次世界大戦のA級戦犯とされる人々が合祀ごうしされていることから、中国や韓国だけでなく、国内の革新かくしん(リベラル)派からも長年批判の対象となってきた。

この集会では、東京大学の教授3人が登壇し、日本の市民社会が直面する危機について論じた。中でも、ナショナリズム研究で知られる高橋哲哉教授は、1951年に締結された日米安全保障条約が、米軍の日本駐留ちゅうりゅうを可能にし、結果として沖縄の広大な土地が基地として接収され、住民が土地や権利を奪われる「植民地化」につながったと指摘した。さらに高橋氏は、本土の革新かくしん勢力が、こうした沖縄における構造的な差別の問題に真剣に向き合ってこなかったと厳しく批判した。

156席の会場は満席となり、3時間半に及ぶ議論に立ち見で耳を傾ける人もいた。参加者の大半は60代以上と見られ、地政学や政治理論といった専門的な議論に慣れた層が中心だった。会場に若者の姿がほとんどないことを懸念する声も聞かれた。これについて、社会学者の本田由紀氏は、若い世代が不公正な社会に絶望していることが一因だと分析する。「現代の若者は将来への不安から権威主義的な傾向を強めています。自分の生存に必死になるあまり、強者に迎合げいごうし、より弱い立場の人々を攻撃してしまうのです」と語った。

同じ日、靖国神社の周辺では、保守系団体と反戦を訴える団体による複数のデモや集会が行われ、緊張感に包まれた。その中で、沖縄から来た活動家、具志堅隆松氏がハンガーストライキを行っていた。具志堅氏は、約40年間にわたり沖縄戦の戦没者の遺骨収集を続けてきた人物である。今回の抗議の目的は、米軍普天間ふてんま飛行場の辺野古へのこへの移設計画に反対することだ。この計画では、まだ多くの戦没者の遺骨が眠る沖縄本島南部の土砂を埋うめ立たてに使う可能性があり、具志堅氏はそれが戦没者への冒涜ぼうとくにあたると強く訴えている。

1945年の沖縄戦では、住民を含む14万人以上が犠牲になったとされ、今なお多くの遺骨が未収容のままである。具志堅氏がこの移設計画に対してハンガーストライキを始めたのは、計画が明らかになった2021年からだ。

前日の14日に開かれた集会で、具志堅氏は台湾をめぐる緊張の高まりが沖縄に及ぼす影響について強い懸念を示した。「政府は、台湾有事ゆうじの際には人口の多い沖縄本島からの避難は不可能で、屋内退避を指示するとしています。これは、戦争が起きても死ねと言っているのと同じです」と語った。また、米政府高官が「日本は有事の最前線さいぜんせんに立つ」と発言したことにも触れ、戦争を地政学ちせいがく的な利害りがいの問題としてではなく、人々の命の問題として考えるよう、特に若い世代に呼びかけた。

8月15日当日、具志堅氏が靖国神社に近づこうとした際、右翼団体のメンバーに行く手を阻はばまれる場面があった。午後には、別の場所でさらなる衝突が発生した。天皇制に反対する団体がデモ行進を行っていたところ、これに反対する右翼団体が集まり、「国へ帰れ」といった差別的な罵声ばせいを浴びせるなどしたため、警察が仲裁ちゅうさいに入り、両者を引き離す事態となった。