オーストラリアと いう くにの はなし です。いま、 あたらしい でんきを たくさん つくって います。たいようの ひかりや かぜの ちからで でんきを つくります。この でんきは くうきを よごしません。だから、 とても きれいな でんき です。たくさんの ひとが、 この でんきは いいと おもって います。じぶんの いえの やねに パネルを おく ひとが ふえて います。いえで でんきを つくる ひとが とても ふえて います。つくった でんきを はこに ためて おく ひと も います。この ように、 あたらしい でんきを つかう ひとが とても ふえて います。これは とても いい こと です。
でも、 もんだいも あります。「あたらしい でんきは よくない です」と はんたい する ひとが います。インターネットには うその はなしが たくさん あります。たとえば、「この でんきは あぶない です」と いう はなし です。これは ほんとうでは ありません。でも、 みんなは その はなしを よみます。そして、 こわいと おもいます。くにの だいじな ことを きめる ひとの なかにも、 はんたい する ひとが います。その ひとたちは「むかしの でんきの ほうが いいです」と いいます。だから、 あたらしい でんきは あまり ふえません。
どうして はんたい する ひとが いますか。たとえば、 いなかに すんで いる ひとたち です。いなかの ひとたちは、 すこし しんぱい して います。あたらしい でんきを つくります。その とき、 おおきな きかいを いなかに たくさん たてます。でも、 くにや かいしゃの ひとは、 いなかの ひとと あまり はなしを しません。くにや かいしゃが いろいろな ことを きめます。いなかの ひとは「わたしたちの いけんも きいて ください」と おもいます。「わたしたちの たいせつな とちの ねだんが やすく なります」と しんぱい する ひと も います。だから、 いなかの ひとは こまって います。
うその はなしも おおきな もんだい です。「あたらしい でんきは おかねが たかく なります」と いう うそが あります。たくさんの ひとが、 この はなしを ほんとうだと おもって います。ほんとうは、 あたらしい でんきは やすい です。でも いま、 みんなの いえの でんきの おかねが たかい です。それは べつの りゆうが あります。だから、 みんなは うその はなしを しんじます。テレビや インターネットは、 わるい はなしを たくさん いいます。「こんな もんだいが あります」と いう はなし です。でも、 いい はなしは あまり いいません。
ほんとうは、 あたらしい でんきが いいと おもう ひとは とても たくさん います。でも、 はんたい する ひとの こえは とても おおきい です。だから、 みんなは もんだいが とても おおきいと おもいます。この もんだいを なくしたい です。だから、 みんなに ほんとうの ことを いう ことが たいせつ です。くにや かいしゃは、 いなかの ひとたちと よく はなす ことが たいせつ です。みんなは いま しんぱい です。だから、 くにや かいしゃは ていねいに せつめい します。そうすれば、 みんなは こわく なくなります。そして、 あたらしい きれいな でんきが もっと ふえます。