2月26日に岩手県・大船渡市で発生した大規模な山林火災は、同市の面積の約9%に当たる2900haを焼失し、平成以降の山林火災としては日本国内最大級の規模となった。しかし、3月6日以降は新たな延焼が確認されないことから、同市は3月9日、これ以上の延焼の可能性がなくなったとして「火災の鎮圧」を宣言した。
ここでいう「鎮圧」とは、火勢が消防隊の制御下に入り、火災拡大の恐れがなくなったと現場の最高責任者が判断した状態を指し、「鎮火」は再燃の恐れがないと判断された状態をいう。現場の最高責任者である大船渡消防署の署長は3月9日午後1時半ごろ、渕上清市長と大船渡市消防団長らとともにヘリコプターで上空から状況を確認した結果、これ以上の延焼拡大の危険性がなくなり、火勢が消防隊の制御下に入ったものとみなし、鎮圧したと判断した。
今回の火災では、大船渡市の綾里地区全域、合足地域、赤崎町の大立・永浜・清水・蛸ノ浦・長崎・外口・宿・後ノ入・森っこ・大洞・生形・山口地域、三陸町越喜来の甫嶺東・甫嶺西・上甫嶺地域の合計1896世帯(4596人)に対し避難指示が出されていた。このうち赤崎町の宿・後ノ入・森っこ・大洞・生形・山口の957人に対しては3月7日、三陸町の甫嶺東・甫嶺西・上甫嶺の333人に対しては同8日、赤崎町の大立・永浜・清水・蛸ノ浦の882人は同9日に解除された。残っていた三陸町綾里全域・赤崎町の合足・長崎・外口の2424人に対する避難指示も、同10日午前10時までに解除され、最初の発令から13日目にして避難指示は全面解除となった。
特に綾里地区は被害が甚大で、163棟が損傷し、中には建物が崩落したり、骨組みだけになったものも散見された。大船渡市の調べでは、3月9日までに102棟の住宅を含む、210棟の建物が被害を受けたことが確認されている。また、90代の男性1名の死亡も確認された。
産経新聞の取材に応じた三陸町綾里の港地区に住む会社員の男性(50)は、家族5人で暮らしていた家が全焼し、「ニュースの空撮映像を見て諦めてはいたものの、ショックは大きかった。高台のため津波の被害は免れたが、山林火災とは想像だにしなかった。飼っていた猫3匹が火災の騒ぎで逃げ出してしまい、まだ見つかっていない。『無事であることを願う』と語った。」
同様に、釜石市内の会社員の男性(39)も、2024年まで母親(72)と住んでいた自宅の被害を見て、「山林火災など全く予想していなかった。住んでいた頃の面影が残っているかと思ったが、何も残っていなかった。『想像を絶する災害だ』と絶句した。」
また、NHKの取材に答えた三陸町綾里の小路地区の女性(83)は、2011年の東日本大震災の津波で家屋を流され、現在の家に母親と4人の兄弟とともに暮らしていたが、今回の山林火災で全焼被害を受けた。「父親を戦火で亡くしたため、母が一人で5人きょうだいを苦労して育てたという。焼失した実家は、裁縫や畑仕事に励む優しい母の姿を思い起こさせる場所だった。何か残っていないかと探したが、何も見つからなかった。津波も甚大だったが、火災の恐ろしさもまた知ることになった、と声を詰まらせた。」
同じく三陸町綾里では、震災による津波で全壊した自宅跡地にワカメの加工場を建てた男性(40)も火災被害を受けた。自宅は無事だったが、ワカメの加工場に使っていた倉庫3棟が全焼し、漁に使用する道具も損傷して使えない状態になった。この男性の倉庫は、自宅跡地でワカメの脱水作業や箱詰めに使われており、3月9日から今シーズンのワカメの収穫作業を行う予定だった。「加工場の倉庫が再建できなければ、ワカメの出荷が不可能になる。再建費用も不明で、『諦め』の言葉しか出てこないと語る。」その上で、「この時期にまた何かが壊れてしまうとは思いもしなかった。できる限りのことを尽くしてきたが、この場所が火事に見舞われるとは。せっかく揃えたものが、一つの山林火災で失われたことへの無念さを滲ませた。」と胸中を述べている。
渕上市長は、今回の避難解除を受けて「待ち望んでいた日がようやく訪れた。昼夜を問わず消火活動に尽力された消防隊の皆様に心より感謝申し上げる」と謝意を示した。また、「家屋を失った被災者の生活再建のため、住居の確保が喫緊の課題である。また、地域経済を支える企業や産業の保護も重要であり、被災事業者の調査を進め、具体的な支援策を講じていく」と述べた。