私わたしが12歳さいのとき、母ははは故郷こきょうのベネズエラからコロンビアへ移住いじゅうすることを決心けっしんしました。知しり合あいがいない土地とちで、どんな苦労くろうがあるか、そのときの私わたしは想像そうぞうもできませんでした。祖母そぼと父ちちは「行いかないでほしい」と言いいました。そして、コロンビア人じんに対たいする偏見へんけんのようなことも言いましたが、私わたしはそうは思おもわなかったので聞きき流ながしました。二人ふたりは、たくさんのベネズエラ人じんがコロンビアへ行いくせいでベネズエラの社会しゃかいが悪わるくなっているとも言いいました。でも、私わたしはただ母ははと一緒いっしょにいたかったのです。

2021年ねん1月がつ13日にち、私わたしたちの旅たびが始はじまりました。そのころ、ベネズエラは経済けいざいの危機ききや政治せいじの問題もんだいでとても大変たいへんでした。食たべ物ものや薬くすりが不足ふそくし、安全あんぜんな生活せいかつもできませんでした。だから、とてもたくさんのベネズエラ人じんがコロンビアへ移住いじゅうしていました。2021年ねんだけで約やく184万人にんがコロンビアへ行いったそうです。私わたしたちがコロンビアに着ついた日ひ、コロンビアのお金かねがよくわからなかったので、車くるまに乗のるときにだまされました。本当ほんとうの運賃うんちんは2人りで4万ペソ(約やく10ドル)ぐらいなのに、その6倍ばい以上いじょうも払はらってしまいました。

コロンビアで、母ははは道みちで物ものを売うる仕事しごとを始はじめました。でも、働はたらくための正式せいしきな許可きょかがなかったので、安定あんていした仕事しごとはできませんでした。母ははは体からだが弱よわかったので、その仕事しごとを続つづけるのは難むずかしかったです。私わたしたちは無料むりょうの医療いりょうサービスを受うけることができませんでした。2021年ねん4月がつ、母ははは病気びょうきで入院にゅういんしました。病院びょういんの費用ひようはとても高たかくて払はらえませんでしたが、幸さいわい病院びょういんが助たすけてくれました。そのころ、親切しんせつな人ひとたちに助たすけられる一方いっぽうで、差別さべつもされてとても苦くるしかったです。

母ははは退院たいいんしてから、やっと正規せいきの仕事しごとを見みつけました。しかし、母ははの給料きゅうりょうはとても安やすかったです。当時とうじの最低さいてい月給げっきゅうは約やく90万ペソでしたが、母ははは約やく30万ペソしかもらえませんでした。2022年ねん、コロンビア政府せいふはベネズエラからの移民いみんに特別とくべつな資格しかくをあげて、公的こうてきな医療いりょう制度せいどを使つかえるようにしました。これで病院びょういんへ行いきやすくなります。私わたしの申請しんせいは承認しょうにんされましたが、残念ざんねんながら母ははは認みとめられませんでした。2023年ねんの初はじめ、母ははの体調たいちょうがもっと悪わるくなったので、私わたしたちはベネズエラに帰かえりました。

私わたしたちが受うけた差別さべつ、とくに母ははへのひどい扱あつかいは、とてもつらい出来事できごとでした。コロンビアでは移民いみんへの非難ひなんや暴力ぼうりょくが問題もんだいになっていました。それでも、すべてのコロンビア人じんがそうではないと知しりました。多おおくの人ひとが私わたしたちの味方みかたになり、心こころから支援しえんしてくれました。この経験けいけんから、人ひとが良よいか悪わるいかは、その人ひとの国籍こくせきで決きまるのではないと学まなびました。その人ひとらしさや人柄ひとがらが一番いちばん大切たいせつだとわかりました。