約50年ねん前まえの1974年ねん、ポルトガルはヨーロッパで一番いちばん西にしにある国くにでした。この頃ころ、ポルトガルは貧まずしい国くにで、たくさんの問題もんだいがありました。国民こくみんの4人にんに1人りは字じを読よんだり書かいたりできませんでした。たくさんの赤あかちゃんが、1才さいになる前まえに亡なくなっていました。また、とてもたくさんの人ひとが「バラック」と呼よばれる、質しつの悪わるい小ちいさな家いえに住すんでいました。しかし1974年ねん4月がつ25日にち、「カーネーション革命かくめい」という出来事できごとが起おこり、ポルトガルの政治せいじや社会しゃかいが大おおきく変かわりました。革命かくめいの後あと、普通ふつうの市民しみんたちは「バラックではなく、ちゃんとした家いえがほしい」と声こえを上あげました。そして、デモをしたり、政府せいふが建たてたのに誰だれも住すんでいなかった空あき家やに入はいって住すみ始はじめたりしました。

市民しみんの声こえを聞きいて、新あたらしい政府せいふは住宅じゅうたくの問題もんだいを解決かいけつするために急いそいで動うごきました。革命かくめいから4か月げつもたたない1974年ねん8月がつに、「SAAL(サール)」という特別とくべつなプロジェクトが始はじまりました。SAALの目的もくてきは、家いえに困こまっている人ひとたちのために、良よい家いえを供給きょうきゅうすることでした。このプロジェクトには、法律ほうりつの強つよい力ちからはありませんでした。しかし、SAALはとてもユニークな方法ほうほうで進すすめられました。家いえづくりの専門家せんもんかである建築家けんちくかや大学だいがくの学生がくせい、ソーシャルワーカー、そしてこれから家いえに住すむことになる住民じゅうみんたちが、みんなで本当ほんとうに協力きょうりょくしたのです。この協力きょうりょくによって、ポルトガルのいろいろな場所ばしょに75の住宅じゅうたく団地だんちが建設けんせつされました。

SAALプロジェクトが大切たいせつにしたのは、住民じゅうみんが参加さんかすることでした。政府せいふや専門家せんもんかだけで決きめるのではなく、住民じゅうみんの意見いけんをよく聞きき、みんなで話はなし合あって家いえづくりをしました。この考かんがえ方かたは、ペルーなどラテンアメリカの国くにで行おこなわれていた、社会しゃかい問題もんだいを解決かいけつするための建築けんちくプロジェクトから影響えいきょうを受うけていました。また、新あたらしい家いえは、できるだけ住民じゅうみんたちがもともと住すんでいたバラックの近ちかくに建たてられました。これは、昔むかしからある近所きんじょの人ひとたちとの良よい関係かんけいを守まもるためです。この社会的しゃかいてきなつながりは、とても重要じゅうようだと考かんがえられていました。住民じゅうみんが自分じぶんで自分じぶんの家いえを建たてる「セルフビルド」という方法ほうほうも選えらぶことができました。

この住宅じゅうたくを求もとめる運動うんどうでは、女性じょせいたちが中心ちゅうしんになって活躍かつやくしました。彼女かのじょたちは「良よい家いえに住すむ権利けんり」を強つよく主張しゅちょうしたのです。しかし、この素晴すばらしいプロジェクトは長ながくは続つづきませんでした。1975年ねんに再ふたたび政治せいじが大おおきく変かわり、革命かくめいのプロセスが止とまってしまいました。その結果けっか、SAALは力ちからを失うしない、1976年ねんに廃止はいしされました。計画けいかくされた170のプロジェクトのうち、実際じっさいに建たてられたのは75だけでした。SAALは短みじかい期間きかんで終おわってしまいましたが、住民じゅうみんが参加さんかして公共こうきょうの政策せいさくを進すすめるという、新あたらしくて先進的せんしんてきな方法ほうほうの良よい例れいとして、今いまも記憶きおくされています。