写真:バウイルザン・ビスミルディンとアシスタントのアレクサンダー・レオノフ(Vlast.kz)、許可を得て掲載
アリヤ・ボラトハン(ロシア語からの英訳はビアトリス・リアマス)によるこの記事は、2025年9月17日Vlast.kzに最初に掲載された。共有合意により、編集した記事をグローバル・ボイスに再掲載する。
歴史家アリヤ・ボラトハン氏は、南カザフスタンにおけるバターやクルト(発酵させた羊乳から作られる伝統的な一口サイズの乾燥チーズ)の製造過程を紹介している。わずか一世紀前には日常的な営みであったが、今日ではその姿をほとんど消しつつある。本記事では、馬でしかアクセスできないような谷間を抜け、今なお往古の慣習を守り続ける村人たちが暮らす地域へと、読者を誘う。
20世紀初頭まで、羊乳はカザフスタンにおけるあらゆる乳製品の源であった。17世紀末の時点では、馬と羊が家畜の中心をなし、牛やラクダは全家畜のわずか1パーセントを占めるに過ぎなかった。ある民族誌的な調査によれば、1922年時点でもカザフの家庭における乳製品の消費において、牛乳の割合は10パーセントにとどまっていたという。
遊牧生活を送る人々にとって、牛はさほど価値のある家畜とはみなされていなかった。それは、他の動物に比べて世話が手間であり、長距離の移動には不向きであったためである。さらに羊乳は、カロリー、脂質、たんぱく質のいずれにおいても牛乳を上回る栄養価を誇っていた。
写真:バウイルザン・ビスミルディンとアシスタントのアレクサンダー・レオノフ(Vlast.kz)、許可を得て掲載
しかし、ロシアによる植民地化政策の時代を迎え、近隣諸国との関係深化、定住政策の推進、交易品目の変化などが相次ぎ、牛は次第に一般的な家畜となっていった。このようにして、牛はかつての「最悪の家畜」(カザフ語でmaldyn jamany siyr)から、「貴重な財産」(カザフ語でsiyr pul)へとその位置づけを変貌させていったのである。
ソビエト連邦時代には、この変化はさらに加速し、産業化、工場での大量加工、そして原料の標準化が重視されるようになった。牛乳は、こうした工業生産システムにより適していたと言える。一方、羊は主に肉と羊毛を目的として飼育されるようになった。1960年代までには、カザフスタンはウール(羊毛)とマトン(羊の肉)の生産地として有名になり、かつて遊牧生活の根幹を支えていた羊乳は、次第に影を潜め、人々の食生活から姿を消していった。
昨夏(2024年夏)、クルトに関する記事作成に着手した際、筆者はクルトという食品への認識がまだ不十分であったことに気付かされた。クルトは単に食品という枠を超え、栄養、身体、記憶、そして土地といった多様な概念を体現する存在なのである。
筆者が最も関心を惹かれたのは、羊のクルトが牛のクルトよりはるかに栄養価が高いという点であり、その味を実際に体験してみたいという衝動に駆られた。カザフスタンに長年居住しているにもかかわらず、なぜこれまで一度も羊のクルトを口にしたことがなかったのだろうか。今日では牛やラクダ、ヤギの乳から作られたクルトは容易に入手できるのに対し、羊のクルトは皆無と言える状況である。わずか一世紀前には遊牧文化の揺るぎない基盤であったにもかかわらず、なぜこれほどまでに羊乳について耳にすることが少ないのだろうか。
専門家によると、カザフスタンでは羊乳の産業的な規模での生産は行われておらず、羊は主に食用としての飼育が主流となっている。
筆者は、羊乳が今なお搾乳されている地域を探し始めた。その調査の過程で、ネシプハンとロジクルという老夫婦に巡り会った。彼らは筆者に実際の搾乳風景を見せ、羊乳を試飲させてくれることになった。
写真:バウイルザン・ビスミルディンとアシスタントのアレクサンダー・レオノフ(Vlast.kz)、許可を得て掲載
当初、筆者は山頂にある夏の放牧地での搾乳を見学したいと望んだが、そこは馬でのみアクセス可能で、2時間を要する険しい道のりであった。そこで彼らは、羊の群れが山を下りてくる夏の終わりに、彼らの住む村を訪れることを提案してくれた。
孫のエルザスは、巧みに羊の後脚を抑え、自身の方へと引き寄せる。羊は一瞬もがくものの、すぐに大人しくなる。その手つきはしっかりとしているものの、決して乱暴ではない。ロジクルは手にバケツを持って傍に腰を下ろす。かろうじて聞き取れるほどの微かな音を立てて、乳が金属製のバケツへと滴り落ちていく。この短い時間は、羊飼いの生活を支える根幹にあるものを垣間見せてくれる。それは、年長者から若者へと受け継がれる知恵であり、人間と動物とが共生する時間の象徴である。このひとときを言葉で表現することは難しい。
写真:バウイルザン・ビスミルディンとアシスタントのアレクサンダー・レオノフ(Vlast.kz)、許可を得て掲載
ネシプハンは、地域社会で尊敬を集める羊飼いであり、1981年から羊を飼育している。彼の家族は現在も、伝統的な季節移動型の生活様式を維持しており、夏には羊を山岳地帯に連れて行き牧草を食ませ、冬には麓の乾燥地帯へと下りてくる。
「30年間、羊の群れを守るためオオカミの襲撃と戦わなければならなかった。しかし3年前にオオカミは全て姿を消した」とネシプハンは語る。彼はこれを極めて象徴的な出来事だと感じているという。それは羊の群れとの深い絆、そして長年にわたり培われてきた信頼と技量の証なのである。
搾乳期は8月上旬に開始される。この時期に子羊を母親から離すが、乳の出はすぐに止まらないため、搾乳が可能となる。当初は一日おき、その後は二日おきと徐々に間隔を空け、3~4週間後には自然に乳が出なくなるという。別の方法で行うと、現地の言葉で「malga obal」(動物を傷つける行為)とされ、羊に苦痛を与えることになる。