タリバン政権下のアフガニスタンの少女や女性の現状は、マーガレット・アトウッドの小説『侍女の物語』で描かれたディストピア(暗黒郷)と酷似しています。その小説では、宗教的で過激な政権が女性から社会的な権利、経済的な権利、さらには人権のすべてを奪い去っています。
この3年半、タリバンは私たちから最も基本的な権利までも奪ってきました。その理由は一体何なのでしょうか。私たちの罪は何なのでしょうか。ただ女の子として生まれたことなのでしょうか。
当時11学年だった私は、試験の準備に没頭していました。その最中、アシュラフ・ガニ大統領が国外へ逃亡し、タリバンが首都を制圧したという衝撃的なニュースが飛び込んできました。
教育や未来に対して夢と希望を抱いていた10代の少女にとって、そのニュースはまさに悪夢そのものでした。どれほど時が経っても終わりのない悪夢は、日中も夜間も私の生活の一部となり、何百万ものアフガニスタンの少女たちも同様の境遇に置かれました。
当初、タリバンは試験の実施を許可したため、私たちは学校や大学で女子も学習を継続できるのではないかという僅かな希望を抱きました。しかし、その希望は瞬時に絶望へと変わりました。知識や可能性への扉は固く閉ざされ、再び開かれることはありませんでした。
クラスメートや先生、教室、そして長年使い慣れた古い机さえも一目でも見たいと願い、学校の門まで足を運びました。しかし、校内への立ち入りは許されませんでした。私はただ遠くから学校を思い焦がれるように見つめ、喉を詰まらせる思いで帰路につきました。
その頃、私は自分自身、家族、そして友人に繰り返し問い続けました。「私たちに一体どのような過ちがあるというのか。なぜ少女たちの基本的かつ当然の権利がこれほど容易に否定されるのか。なぜ10代の私たちが自由に生きることができず、それどころか権利を喪失したことを嘆き悲しまなければならないのか。」
私は度々、自分を他国の少女たちと比較しました。彼女たちが学校や大学へ通い、自由に歩き、図書館を利用できることは、どれほど幸運なことだろうか。しかし、私や何百万もの少女たちは、そのようなごく基本的な権利すらも否定されているのです。
時の経過とともに、絶望の影はさらに色濃くなりました。私が出会う全ての少女が悲痛な疑問を抱いていましたが、その答えを知る者は誰もいませんでした。
10代の私にとって、この暗闇から抜け出すことは困難を極めました。しかし、家族の支えにより一つの道を見出しました。私はヘラートで秘密裏に運営されている英語センターに通い始めたのです。そこでは勇気ある教師たちが少女たちに密かに英語を教えていました。
1年間懸命に学習し、私は高い英語力を習得しました。センターの指導者の勧めに従い、同年代やより若い少女たちに英語を教える教師にもなりました。知識を得ることは自己を満たすことですが、その知識を分け与えることは、それ以上の大きな喜びでした。
東洋と西洋の双方の文学に夢中になりました。オリアーナ・ファラーチの『無用の性(The Useless Sex)』に加え、『侍女の物語』を再読し、レイチェル・ホリスの『傷ついた私を助けてくれたこと(Girl, Wash Your Face)』を読みました。心理学の書籍は再び希望を抱く契機となり、ルーミーの『マスナヴィ(Masnavi)』のような霊的な書物や、エルンスト・ゴンブリッチの『若い読者のための世界史』といった歴史書も読み漁りました。
私は、自分たちと同様の運命を辿った人々が他国にも存在するのかを知りたかったのです。それとも、私たちはただ闇雲に過去を繰り返しているだけなのでしょうか。
本は私の目を開かせ、人生の展望を広げてくれました。正規の教育を受ける希望が叶わないにしても、私は代替の方法を探求し続けました。
そして、私は米国のオンライン大学the University of the Peopleを見つけました。条件が合致すれば、学士課程の履修が可能な場所です。私は経営学のプログラムに応募し、数か月後に受け入れの手紙を受け取りました。
私は4月から学習を開始する予定で、心の高鳴りを抑えきれません。しかし、他の多くの少女たちが未だに教育を受けられない現状に深い悲しみを感じずにはいられません。願わくは、彼女たちにも学びの機会が与えられますように。対面でなくとも、せめてオンラインでの学習が可能であってほしい。
両親は常に、妹たちや私に「まず学び、自立し、その後の人生を考えなさい」と教えてきました。
両親の揺るぎない支援がなければ、私は数千人もの他の少女たちと同様に、口を閉じ、誰にも顧みられず、家の片隅で希望もなく塞ぎ込んでいたかもしれません。しかし、その支えがあったからこそ、私は英語を習得し、アメリカの大学に受け入れられました。願わくば、いつか修士や博士の課程も修了させたいと思っています。