アフガニスタンでは今いま、タリバンが国くにを支配しはいしています。そして、私わたしたち女おんなの子こや女性じょせいの生活せいかつはとても大変たいへんになりました。タリバンは、私わたしたちの自由じゆうや権利けんりを奪うばいました。例たとえば、学校がっこうへ行いくことや、女性じょせいが仕事しごとをすることを禁止きんししたのです。私わたしは何なん度ども自分じぶんに聞ききました。「私わたしたちの罪つみは何なんですか。女おんなの子こに生うまれたことですか」と。

私わたしは高校生こうこうせいで、試験しけんのために一生懸命いっしょうけんめい勉強べんきょうしていました。その時とき、タリバンが首都しゅとを支配しはいしたというニュースを聞ききました。教育きょういくや将来しょうらいに夢ゆめと希望きぼうを持もっていた私わたしにとって、それは悪わるい夢ゆめのようでした。タリバンは最初さいしょ、試験しけんを許ゆるしてくれたので、私わたしたちは「また学校がっこうで勉強べんきょうできるかもしれない」と少すこしだけ希望きぼうを持もちました。しかし、その希望きぼうはすぐになくなりました。勉強べんきょうへの門もんは固かたく閉とざされ、二度にどと開ひらくことはありませんでした。私わたしはクラスメートや先生せんせいに会あいたくて、学校がっこうの門もんまで行いきました。でも、中なかに入はいることはできませんでした。とても悲かなしくて、泣なきながら家いえに帰かえりました。

毎日まいにち、希望きぼうがないと感かんじていました。でも、私わたしの家族かぞくが助たすけてくれました。家族かぞくのおかげで、私わたしは新あたらしい道みちを見みつけました。人ひとに見みつからないように秘密ひみつで開ひらかれている英語えいごセンターに行いくようになったのです。そこでは、勇気ゆうきのある先生せんせいたちが女おんなの子こたちに英語えいごを教おしえていました。1年ねん間かん一生懸命いっしょうけんめい勉強べんきょうして、私わたしの英語えいごはとても上手じょうずになりました。そして、今度こんどは私わたしが先生せんせいになって、若わかい女おんなの子こたちに英語えいごを教おしえることになりました。知識ちしきを得えることはうれしいですが、その知識ちしきを人ひとと分わかち合あうことは、もっと大おおきな喜よろこびでした。

私わたしは本ほんもたくさん読よみました。文学ぶんがくや心理学しんりがく、歴史れきしなど、いろいろな本ほんです。本ほんは私わたしにもう一度いちど希望きぼうをくれましたし、私わたしの考かんがえ方かたを広ひろげてくれました。学校がっこうでの教育きょういくは受うけられなくても、別べつの方法ほうほうを探さがし続つづけました。そして、アメリカのオンラインの大学だいがく「the University of the People」を見みつけました。私わたしは経営学けいえいがくのプログラムに申もうし込こみ、数すうか月げつ後ご、合格ごうかくの手紙てがみを受うけ取とりました。4月がつから勉強べんきょうが始はじまります。とてもうれしくて、わくわくしています。

しかし、今いまもアフガニスタンでは、たくさんの女おんなの子こが教育きょういくを受うけられません。そのことを考かんがえると、深ふかい悲かなしみを感かんじます。彼女かのじょたちにも、オンラインでもいいから、学まなぶチャンスが持もてるように強つよく願ねがっています。私わたしの父ちちと母ははは、いつも私わたしたち姉妹しまいを応援おうえんしてくれました。「まず学まなびなさい。そして自分じぶんの力ちからで生いきられるようになりなさい」と。両親りょうしんの支ささえがなければ、私わたしは夢ゆめをあきらめていたかもしれません。でも、両親りょうしんのおかげで、私わたしはアメリカの大学だいがくで勉強べんきょうを始はじめることができます。いつか修士しゅうしや博士はくしの勉強べんきょうもやりたいです。