2021年、ミャンマーで軍ぐんがクーデターを起おこしました。それから、ミャンマーの人々ひとびとの生活せいかつはとても大変たいへんになりました。ニュースを伝つたえる記者きしゃも同おなじです。軍ぐんは、本当ほんとうのことを伝つたえる記者きしゃを逮捕たいほしたり、刑務所けいむしょに入いれたりしています。しかし、危険きけんでも仕事しごとを続つづけている記者きしゃがいます。エミリーさんもその一人ひとりです。エミリーさんは二人ふたりの子供こどもを育そだてるシングルマザーで、13年ねんの経験けいけんがあるベテランの記者きしゃです。安全あんぜんのため、家族かぞくと一緒いっしょにタイとミャンマーの国境こっきょうの町まちへ逃にげました。その後あと、夫おっとを亡なくし、今いまは一人ひとりで子供こどもを育そだてながら仕事しごとをしています。

タイでの生活せいかつは簡単かんたんではありません。エミリーさんのように正式せいしきな書類しょるいがない人ひとは、特とくに大変たいへんです。タイ語ごがわからないことや、自由じゆうに動うごけないことが大おおきな問題もんだいです。彼女かのじょは「まるで小ちいさな箱はこの中なかにいるようです」と言いいます。子供こどもたちのことも心配しんぱいです。娘むすめはクーデターのとき1歳さいでした。知しらない土地とちで育そだち、3歳さいのときにお父とうさんを亡なくしました。息子むすこもコロナとクーデターで学校がっこうへ行いけなくなり、タイへ逃にげました。タイでは周まわりの人ひとに気きを使つかうので、子供こどもたちは大おおきな声こえで話はなしたり、自由じゆうに遊あそんだりできません。静しずかに生活せいかつしなければならないのが、とても悲かなしいです。

夫おっとが亡なくなり、今いまはエミリーさんが子供こどもたちの唯一ゆいいつの支ささえです。「子供こどもたちにとって、私わたしはお母かあさんであり、守まもってくれる人ひとなのです」と彼女かのじょは言いいます。大変たいへんでつらいときも、子供こどもたちのために頑張がんばる力ちからが出でます。彼女かのじょはよく「私わたしはエミリー、エミリーは強つよい」と自分じぶんに言いい聞きかせています。シングルマザーとして仕事しごとと子育こそだてを両方りょうほうするのは難むずかしいです。取材しゅざいに子供こどもを連つれて行いくこともよくあります。子供こどもを静しずかにさせながら仕事しごとに集中しゅうちゅうするのは、とても大変たいへんです。

クーデターの後あと、エミリーさんには他ほかの国くにへ安全あんぜんに移うつるチャンスがありました。ある国くにの大使館たいしかんから「家族かぞくで来きませんか」という申し出もうしでがありました。しかし、彼女かのじょはそれを断ことわりました。「ミャンマーの仲間なかまたちが国くにで命いのちをかけてたたかっています。私わたしだけ安全あんぜんな場所ばしょから応援おうえんするのは正ただしくないと思おもいました」と話はなします。どんなに大変たいへんでも、彼女かのじょは自分じぶんの国くにミャンマーの近ちかくにいたかったのです。学校がっこうを卒業そつぎょうしてからずっと記者きしゃの仕事しごとをしてきたので、これが自分じぶんにできる唯一ゆいいつの仕事しごとだと考かんがえています。

ミャンマーの軍ぐんの政府せいふは、真実しんじつが世界せかいに広ひろがらないように、ニュースを止とめようとしています。だからこそ、記者きしゃたちは軍ぐんのひどい行動こうどうを伝つたえなければなりません。エミリーさんは「ミャンマーに民主主義みんしゅしゅぎが戻もどるまで、あきらめずに挑戦ちょうせんし続つづけなければなりません」と言いいます。これは彼女かのじょが選えらんだ道みちであり、これからも歩あるみ続つづける道みちなのです。間違まちがったことに対たいして声こえを上あげ続つづけることが大切たいせつだと信しんじています。