これは、中国ちゅうごくの女おんなの人ひと、りさんの話はなしです。りさんは今いま、70才さいぐらいです。

りさんは子こどものとき、中国ちゅうごくの北きたのほうにある「えんぺん」という所ところに住すんでいました。りさんの家いえはびんぼうでした。

りさんが6才さいのとき、三人さんにんの弟おとうとや妹いもうとのめんどうを見みていました。ともだちは外そとで遊あそんでいましたが、りさんは遊あそぶことができませんでした。赤あかちゃんの妹いもうとをせなかにのせて、弟おとうとの手てを引ひいていました。

りさんは、小学校しょうがっこうにみんなより2年ねんおそく入はいりました。でも、とても頭あたまがよかったです。勉強べんきょうがよくできて、学校がっこうでいつも一番いちばんでした。

1966年ねんに中学校ちゅうがっこうを出でたとき、りさんはとてもよい学生がくせいでした。それで、首都しゅとの北京ぺきんへ行いきました。北京ぺきんの天安門広場てんあんもんひろばに立たちました。

でも、その年とし、中国ちゅうごくの学校がっこうは全部ぜんぶ休やすみになりました。りさんはもっと勉強べんきょうしたかったですが、上うえの学校がっこうへ行いくことができませんでした。りさんは村むらで仕事しごとを始はじめました。

1973年ねんに、けっこんしました。でも、生活せいかつはたいへんでした。りさんの おっとは、よくおこりました。お酒さけもたくさん飲のみました。おっとは、りさんをばかにして、「ばかだ」と言いいました。

おっとはあまり仕事しごとをしなかったので、りさんが一人ひとりで仕事しごとをしました。畑はたけで仕事しごとをしたり、いろいろな仕事しごとをしたりしました。家いえのことも全部ぜんぶして、二人ふたりの女おんなの子こを育そだてました。

1977年ねんに、また大学だいがくが始はじまりました。村むらの人ひとは、みんな「りさんは頭あたまがいいから、大学だいがくに入はいることができます」と思おもいました。

りさんは、りょうりが上手じょうずでした。りさんが作つくるキムチは、とてもおいしくて有名ゆうめいでした。りさんはいつも村むらの人ひとを助たすけました。こまっている女おんなの人ひとを助たすけたり、りょうりの上手じょうずな作り方つくりかたを教おしえたりしました。とても親切しんせつな人ひとでした。