この記事きじでは、ある女性じょせいの話はなしをします。1966年ねんから1976年ねんまで、中国ちゅうごくでは「文化大革命ぶんかだいかくめい」というとても大変たいへんな時代じだいがありました。このとき、国中くにじゅうの学校がっこうが閉しまりました。たくさんの若者わかものが大学だいがくに行いけなくなり、人生じんせいが大おおきく変かわりました。話はなをするのは、李さんという70代だいの女性じょせいです。彼女かのじょは中国ちゅうごくの東北部とうほくぶにある延辺えんぺんという場所ばしょに住すむ「朝鮮族ちょうせんぞく」という少数民族しょうすうみんぞくです。彼女かのじょが生いきた時代じだいは、政治せいじや社会しゃかいの変化へんかが激はげしく、民族みんぞくの伝統でんとうや女性じょせいへの厳きびしいルールもありました。

李さんは1950年代ねんだいに、8人にん兄弟きょうだいのいる貧まずしい家庭かていに生うまれました。当時とうじの朝鮮族ちょうせんぞくの家庭かていでは、女おんなの子こは家族かぞくのために一生懸命いっしょうけんめい働はたらくことが求もとめられました。彼女かのじょは6歳さいのとき、すでに3人にんの弟おとうとや妹いもうとの世話せわをしていました。友達ともだちが外そとで遊あそんでいるときも、赤あかちゃんを背負せおっていました。そのため小学校しょうがっこうに入はいるのが遅おくれましたが、学校がっこうではいつもクラスで一番いちばんの成績せいせきでした。中学校ちゅうがっこうを卒業そつぎょうする時とき、優秀ゆうしゅうな生徒せいととして首都しゅとの北京ぺきんに招待しょうたいされ、当時とうじのリーダーだった毛沢東もうたくとうを見みる機会きかいがありました。彼女かのじょはとても誇ほこらしかったと話はなしてくれました。

しかし、彼女かのじょの大学だいがくへ進すすむ夢ゆめは、1966年ねんの文化大革命ぶんかだいかくめいで突然とつぜん終おわりました。学校がっこうが閉しまってしまったからです。彼女かのじょは地元じもとの村むらで働はたらくことになりました。1973年ねんに結婚けっこんしましたが、夫おっとは心こころに深ふかい傷きずを持もっていました。彼かれの父ちちは、日本にほんの軍ぐんに自分以外じぶんいがいの家族かぞくをみんな殺ころされたからです。夫おっとはお酒さけやギャンブルの問題もんだいがあり、いつも李りさんをばかにしてひどい言葉ことばを言いいました。李りさんは一人ひとりで畑はたけで働はたらいたり、いろいろな仕事しごとをしたりして、二人ふたりの娘むすめを育そだてました。

1976年ねんに文化大革命ぶんかだいかくめいが終おわり、学校がっこうが再開さいかいしました。1977年ねんには、大学だいがくに入はいるための全国統一ぜんこくとういつテストも復活ふっかつしました。村むらの人ひとたちは、頭あたまが良よい李りさんならきっとテストに合格ごうかくすると信しんじていました。李りさんは、村むらで女性じょせいのリーダーとしてみんなを助たすけ、料理りょうりや生活せいかつの知恵ちえを教おしえるなど、頼たよりにされる存在そんざいでした。彼女かのじょの作つくるキムチはとてもおいしく、地元じもとで人気にんきがありました。勉強べんきょうの夢ゆめは一度いちど断たたれましたが、彼女かのじょは自分じぶんの力ちからで力強ちからづよく生いきてきたのです。