この記事では、世界中で見られるジェンダーの多様性について紹介する。ジェンダーの多様性は、現代において脅おびやかされることもあるが、歴史を通じて守られ、受け継がれてきたものでもある。

ジェンダーの流動性りゅうどうせいは、しばしば「新しい」あるいは「西洋的」な考え方だと見なされることがある。しかし実際には、世界中の数多くの文化に、男女という二つの性別にとらわれない多様な性の伝統や歴史が存在するのである。

植民地しょくみんち時代以前の文化には、多様な性自認せいじにんを持つ人々の存在が広く認められていた。例えば、北米のネイティブアメリカンにおける「ツー・スピリット」や「ファーストネーション」がその例である。また、現代オーストラリアのトレス海峡諸島民かいきょうしょとうみんも同様に、「ブラザーボーイ」や「シスターガール」といったトランスジェンダーの人々を尊重してきた。太平洋の多くの島々でもジェンダーの多様性は見られ、ニウエのフィアフィフィン、トンガのファカレティなどが知られている。アフリカにおいても、歴史家たちは性的マイノリティの人々の豊かな歴史を確認している。

こうした性の流動性りゅうどうせいは、世界中の民話や宗教、神話の中にも見ることができる。そこでは、性別のない創造主や両性具有りょうせいぐゆうの神々から、男女という二元論的な考え方に抗あらがったり、性別が完全に入れ替わったりする伝説上の人物まで、複雑で多様な性自認せいじにんを持つ主人公たちが活躍する。多くの場合、この流動性りゅうどうせいは単なる偶然ではなく、神話そのものの核心かくしんをなす教えとなっている。

しかし、ヨーロッパの植民地主義しょくみんちしゅぎと一神教いっしんきょうが広まるにつれて、こうした神話の多くは消し去られたり、西洋キリスト教の教えに合うように男女二つの性別を持つ存在へと単純化されたりした。ある学者が指摘するように、「西洋人の性別観は、新世界の社会にはうまく適合てきごうしなかった」のである。

その結果、ジェンダーの多様性は社会の隅すみに追おいやられ、多様な性自認せいじにんを持つ人々は、自らの存在を隠して生きることを余儀よぎなくされた。しかし重要なのは、ジェンダーの多様性が決して消滅したわけではないという点だ。むしろ、人々は迫害はくがいされたり弾劾だんがいされたりすることを恐れ、カミングアウトする機会を失ってしまったのである。

歴史の中で文化による一進一退いっしんいったいはあったものの、ジェンダーの多様性は宗教的・文化的な神話の中に今も生き続けている。この記事では、中国、南アジア、アフリカ、カリブ海諸国など、世界中から寄よせられた報告をもとに、古くから存在する多様な性のあり方を巡めぐっていく。

ジェンダーの流動性りゅうどうせいを持つヒンドゥー教の神として、アルダナーリーシュヴァラがよく知られている。この神は、ヒンドゥー教の主神シヴァとその配偶者はいぐうしゃである女神パルヴァティが一体となった(男性であり女性でもある)姿をしている。アルダナーリーシュヴァラは、体の中心から左右で異なる姿で描かれ、右半身はんしんがシヴァ、左半身はんしんがパルヴァティである。その名は「半身はんしん女性の主」を意味する。この神は、男性のエネルギーと女性のエネルギーの統一と調和を表し、男女の二元性を超越ちょうえつした絶対的な存在を象徴しょうちょうしている。そして、性別が境界きょうかいのない連続的なものであるという考え方の根本となっている。

ジェンダーの流動性りゅうどうせいは、多くのヒンドゥー教の叙事詩じょじしにも見られる。例えば、叙事詩じょじし『ラーマーヤナ』では、ラーマ王子がアヨーディアから14年間追放ついほうされるその日に、信者たちに「男も女も」アヨーディアへ戻るよう命じる。しかし、そのどちらでもない人々は残り、ラーマを待ち続けた。彼らは後に祝福を受け、これが南アジアに現在も存在する「ヒジュラ」と呼ばれる第三のジェンダー共同体の起源きげんとされている。

また、叙事詩じょじし『マハーバーラタ』には次のような物語がある。主要人物の一人である戦士アルジュナは、流刑るけいの13年目に、ウッタラ王女に音楽と踊りを教える宦官かんがん「ブリハンナラ」に扮ふんした。多くの現代の作家はこれを、第三のジェンダー、すなわち性別を超えた役割として捉とらえている。さらに、ヴィシュヌ神の唯一の女性の化身けしんである魔女モヒニも、ジェンダーの流動性りゅうどうせいと神聖さの体現たいげんを考える上で重要な存在である。

第三のジェンダーは「第三の自然(トリティア・プラクリティ)」とも呼ばれ、古代ヒンドゥー教の法学ほうがく・医学書いがくしょ(例えば『カーマ・スートラ』や『スシュルタ・サンヒタ』)においても、明確に第三の性として認識されている。これらの書物では、両性りょうせいの特性を持って生まれたり、同性に惹ひかれたりする人々が描かれ、そうした特性は人間として生来せいらい備わっているものだとされている。

仏教神話にも、ジェンダーの流動性りゅうどうせいは伝えられている。観世音菩薩かんぜおんぼさつ(観音かんのん)は「世の音を感知かんちする菩薩ぼさつ(生きた仏)」を意味し、ジェンダーが流動的な神性しんせいを持つ。中国仏教や道教、その他の民間宗教において、最も重要視される神の一柱ひとはしらである。

観音かんのんの原型げんけいは、慈悲じひを司つかさどるアヴァロキテスヴァラ(観音菩薩かんのんぼさつ)であり、初期の仏教経典きょうてん(聖典せいてん)では男性として描かれている。しかし『法華経ほけきょう』ではその性別は流動的であり、現世げんせに現れる際には、仏や梵天ぼんてんから女性、少女、さらには人間以外のものまで32の異なる姿に変身し、すべての生き物(一切衆生いっさいしゅじょう)を教おしえ導みちびくとされる。

観音菩薩かんのんぼさつに関する経典きょうてんは、漢代かんだい(紀元前202年~西暦220年)に初めて中国語に翻訳された。その仏像ぶつぞうは、北朝ほくちょう・南朝時代なんちょうじだい(西暦439年~589年)に中国、特にシルクロード沿道えんどうの地域で出現した。

初期の仏像ぶつぞうは、蓮はすを持つ持蓮観音じれんかんのんの姿が多く、平らな胸や口ひげなど、男性的な容姿ようしをしていた。しかし、唐代とうだい(西暦618年~907年)になると、中国唯一の女帝であった武則天ぶそくてんが、自らを弥勒菩薩みろくぼさつの転生てんせいだと宣言したことから、観音像かんのんぞうは「十一面観音じゅういちめんかんのん」や「千手観音せんじゅかんのん」の姿で、女性的な顔立ちと身体を持つ、より両性的りょうせいてきな表現へと変化した。これにより、慈悲深じひぶかい女神が常に信者の願いに耳を傾かたむけ、応えるという有求必應ゆうきゅうひつおうの信仰しんこうが強固きょうこなものとなった。

宋代そうだい(西暦960年~1279年)までには、観音かんのんは完全に女性の姿となり、中国独特の画風がふうで「水月観音すいげつかんのん」として描かれるようになった。また、女性の信者の間では、子宝こだからを授さずける「送子観音そうしかんのん」としての民間崇拝みんかんすうはいも広まった。