さいきん ひとつの ニュースが ありました。ロシアと きたちょうせんの ニュースです。ロシアの いちばん えらい ひとは プーチンさんです。プーチンさんは きたちょうせんに いきました。きたちょうせんの いちばん えらい ひとは キム・ジョンウンさんです。ふたりは あって たくさん はなしを しました。ロシアと きたちょうせんは いま とても なかが いいです。「これからも いっしょに いろいろ しましょう」と いいました。せかいの ほかの くにの ひとは「だいじょうぶかな」と おもって います。きょうは この ニュースでは なく べつの はなしを します。ロシアに すむ ちょうせんの ひとの はなしです。この ひとたちを「コリョ・サラム」と よびます。コリョ・サラムは むかし くらしが とても たいへんでした。その はなしを しましょう。
コリョ・サラムの はなしは とても むかしに はじまります。100ねん より もっと まえの ことです。そのころ たくさんの ちょうせんの ひとが くにを でました。そして となりの くにの ロシアへ ひっこしを しました。どうして ひっこしを しましたか。ちょうせんでの くらしが たいへんだったからです。たべる ものが すくなかったです。みんな びんぼうでした。つよい あめや かぜも たくさん ありました。だから みんな あたらしい ばしょを さがして ロシアへ きました。はじめに すんだ ばしょは ロシアの ひがしです。そこで あたらしい むらを つくりました。はじめは すくない ひとでした。でも ロシアに すむ ちょうせんの ひとは どんどん ふえて いきました。1917ねんには 9まんにん ぐらいに なりました。
でも 1937ねんに とても かなしくて たいへんな ことが ありました。そのときの ロシアは ソれんと いう なまえでした。ソれんの えらい ひとは コリョ・サラムを しんじませんでした。「この ひとたちは わるい ひと かも しれない」と おもいました。そして ソれんは ひどい ことを きめました。17まんにん 以上の コリョ・サラムに「ひっこしを して ください」と いいました。みんな いやでした。でも ひっこしを しました。とても とおい ちゅうおうアジアという ばしょへ いきました。ひっこしは ものを はこぶ きしゃでした。きしゃの なかは さむくて せまかったです。たべものも みずも あまり ありませんでした。その ために 1まんにん 以上の ひとが しんで しまいました。ひっこしの まえは ちょうせんの ことばの がっこうや しんぶんが ありました。でも それらは みんな なくなって しまいました。ずっと あとになってから ロシアは「わたしたちが まちがえました」と いいました。
じかんが たちました。ソれんは なくなりました。そのあと コリョ・サラムは いろいろな くにへ いきました。ロシアや かんこくに すむ ひとが おおいです。いまの わかい コリョ・サラムは ちょうせんの ことばを あまり はなしません。でも べんきょうを よく します。だいがくに いく ひとが おおいです。そして むかしからの ことも たいせつに して います。たとえば「ドルジャンチ」という あかちゃんの おいわいが あります。1さいの たんじょうびの パーティーです。りょうりも たいせつな ものです。「こうらいふう にんじん」という にんじんの サラダが とても にんきです。ロシアで ゆうめいに なった コリョ・サラムも たくさん います。ゆうめいな うたを うたう ひとや つよい スポーツの せんしゅに なった ひとが います。コリョ・サラムは むかし たいへんでした。でも いまも いろいろな ばしょで がんばって います。