最近、ロシアと北朝鮮きたちょうせんの関係かんけいが強つよくなっています。2024年ねん6月がつ、ロシアのプーチン大統領だいとうりょうが北朝鮮きたちょうせんを訪問ほうもんしました。この記事では、これをきっかけに、ロシアに住すむ朝鮮ちょうせんのルーツを持もつ人々ひとびとの歴史れきしを紹介しょうかいします。ロシアやその周まわりの国くにに住すむ、朝鮮ちょうせんにルーツがある人々ひとびとは「高麗人こうらいじん」と呼よばれています。彼らは長ながい間あいだ、たくさんの困難こんなんを経験けいけんしてきました。

19世紀せいきの後半こうはんから、朝鮮ちょうせんからロシアへ移うつり住すむ人ひとが増ふえ始はじめました。理由りゆうは、朝鮮ちょうせんでの生活せいかつが貧まずしかったり、自然災害しぜんさいがいが多おおかったりしたからです。最初さいしょにロシアに来きた人ひとたちは、ロシアの東ひがしにある沿海州えんかいしゅうという場所ばしょに住すみ、自分じぶんたちの村むらを作つくりました。19世紀せいきの終おわりごろには9千人せんにんでしたが、1917年ねんには約やく9万人まんにんまで増ふえました。

しかし1937年ねん、とても悲かなしい出来事できごとが起おきました。そのころのロシアであるソビエト連邦れんぽう(ソ連れん)の政府せいふは、高麗人こうらいじんが日本にほんに協力きょうりょくするかもしれないと疑うたがいました。そして、約やく17万人まんにんの高麗人こうらいじんを中央ちゅうおうアジアの国々くにぐにへ無理むりやり移動いどうさせました。これを「強制移住きょうせいいじゅう」と言いいます。人々ひとびとは荷物にもつを運はこぶための寒さむい列車れっしゃに乗のせられ、移動いどうの途中とちゅうで1万人まんにん以上いじょうが亡なくなりました。強制移住きょうせいいじゅうの前まえ、高麗人こうらいじんは自分じぶんたちの学校がっこうや新聞しんぶんなどを持もっていましたが、すべて失うしないました。後あとになって、1993年ねんにロシアの政府せいふは「この強制移住きょうせいいじゅうは間違まちがいだった」と認みとめました。

ソ連れんがなくなった後あと、多おおくの高麗人こうらいじんはロシアやウクライナ、そして特別とくべつなルールを使つかって韓国かんこくなどへ移うつり住すみました。今いまの若わかい世代せだいの多おおくは朝鮮語ちょうせんごを話はなせませんが、昔むかしから教育きょういくをとても大切たいせつにしています。また、赤あかちゃんの1歳さいの誕生日たんじょうびのお祝いわい「ドルジャンチ」などの伝統的でんとうてきな文化ぶんかを守まもっています。ドルジャンチでは、赤あかちゃんが選えらんだもので将来しょうらいを占うらなう儀式ぎしきもします。

高麗人こうらいじんの料理りょうりも大切たいせつな文化ぶんかです。その土地とちでとれる食材しょくざいを使つかって作つくります。キムチに似にた「高麗風こうらいふうニンジン」という料理りょうりは、ロシアの野菜やさいで作つくられていて、とても人気にんきがあります。また、ロックミュージシャンのヴィクトル・ツォイのように、ロシアの文化ぶんかやスポーツで活躍かつやくした有名ゆうめいな高麗人こうらいじんもたくさんいます。